プロフィール

略歴

  • 誕生年
    1969年

  • 出身
    兵庫県宝塚市

  • 学歴
    慶応義塾大学法学部政治学科卒業
    慶応義塾大学大学院修士課程卒業

  • 職歴
    東京都職員を24年間勤め、都税の滞納整理、国際交流事業、育英資金事業、保育所補助事業、監査に従事

自己紹介インタビュー

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人生って楽しい!
​そう思える政治を

  • インタビュワー(以下青字):今日は自己紹介インタビューということで子ども時代のお話からお聞かせいただければと思います。宜しくお願いします。​
  • 中村みかこ(以下黒字):こちらこそ宜しくお願いします。

子ども時代

  • みかこさんの子供の頃ってどんな子だったんですか?

  • 気づいた時には幼い頃から「男性と同等の立場でいたい」という気持ちが、心に芽生えていました。小学校の時には、すでに「自分は社会に出て働くぞ!」と思っていたんですよ(笑)

  • それは随分、強いですね(笑)

  • でも、同時に、いつもお友達と一緒にはいるけれど、なぜか会話に溶け込んでいないような・・・どこか「みんな」に合わせられていないような自分がいました。
    「いつも友達が話す共通の話題で笑わないと、『仲間』ではないのかな?

    「人と違う視点から物を言ったら、嫌な顔されるのかな?」
    と、どこか溶け込めない。それが私でした。

  • なるほど。そんなところから「自分のことを正直に言って、正直に生きれる世界。」になったら、という理念みたいな物が生まれてきたんですね。
    お父さんの影響もかなり強いと聞いてますが。

  • そうなんです。父は阪神タイガースのファンだったんです。
    で、阪神タイガースが負けると「アホか!!」とか言うのと同じノリで、普通に政治の話とかもする。気に入らない政治家にはテレビに向かって「こいつアホか!」という(笑)どちらかというと開かれた家庭に育ちました。

学生時代

  • みかこさんはオーストラリアへ留学していた経験があるんですよね?
  • 留学時代が自分に大きな影響を与えたのは、間違いないと思います。オーストラリアでは「みんなが言いたい事を、言える雰囲気」があって、自分を表現することができたんです。
    日本では、いまでもどこか「自分の主張をすることが、むしろ悪いこと」みたいな雰囲気がある。
    時々、息詰りを感じる事はあります。
  • 大学時代はどうだったんですか?
  • バブル時代は大学生として過ごしましたが、親からの仕送りではなかなか生活を切り盛りするのは大変でした。外食なんてしていたら続きません。
  • 自炊なさっていた、ということですか?
  • そうです。月末になるとお金がなくてメニューは「納豆とオクラ」が定番でした。それでも「食」へのこだわりが強く、なにかと工夫をして、まあまあ「食べること」をそれなりに楽しんで毎日を過ごしていました。
    ただもともと野菜好きで、外食だと野菜があまり摂れないこともあり、自炊しかなかったという事情もあります。
  • 「食」の原点ですかね?(笑)
  • 学生ながらも実際に自分で食事を作ったり、家の事をしていると、家事の見えないところがドンドン見えきたんですよ。当事者だからこそ、わかる(笑)
  • 何がわかったんですか?(笑)
  • 生きるために必要な最低限の身の回りのことを、この国では相変わらず女性が負担している部分が大きいということです。みんな平等に生きている。「本当はひとりひとりが自分でやって当たり前のことなのではないかな?」と。なのに「なぜ、家事の負担は女性が大きいのだろう?」と、どこか疑問が残ったんです。
  • なるほど。ジェンダー論のきっかけですね。
    大学ではどんな目標を持っていたんでしょう?
  • 外交官試験を受けようと思って、勉強していました。
    大学中に1回、外交官試験を受けたんです。でも、合格できなかったんです(泣)
    しかも、その頃(1991年)バブルの崩壊が始まったんです。
  • 就職氷河期のはじまりですね。
  • そうなんです。外交官試験に失敗した自分は、再チャレンジのために大学院へ進みました。というか・・・進ませていただいた、という(笑)
    しかし、大学院を卒業したとき(1995年)には、就職氷河期がさらに深刻になっていたんです。

就職・結婚

  • すぐには就職できなかったんですか?
  • 就職に関しては、非常に苦しみました。
    目指していた外交官試験には結局合格できず、「ほかに職業を探さなくてはならない」と非常に焦りました。
    民間企業の就職活動は厳しかったです。留学と大学院で年食ってましたしね。でも、やってみて、やはり自分は公的部門で政策形成や実施に関わりたい、地方自治も面白そうだと思い、試験勉強がようやく功を奏して東京都職員になることが出来ました。
    就職したら「子育てと仕事を両立する」。それが次の私の目標でした。
  • ご結婚されたんですね。
  • はい。就職後、夫に出会い、29歳(1998年)で結婚をし、1男1女を授かりました。

子育てと仕事

  • 「働く女性・中村みかこ」と「家庭を守る・中村みかこ」について教えてください。
  • 就職したことは、与えられた仕事を着実にこなすと同時に、自分は「本当に都の職員に向いているのか?」という自問自答の日々の始まりでもありました。
    「この仕事をするのは自分でなくてもいいのでは?」「自分に本当に価値があるのか?」
    金太郎飴のように「みんなと同じように」仕事をする毎日に、疑問が沸いてきました。
  • そんなときに子供を授かり、自信の無さを感じていた私の考えは一変しました。新たな自分の生きる価値を与えられたように思え、仕事にも、やりがいを見いだせるようになりました。
    しかし子育てと仕事の両立は、想像以上に大変でした。
    当時は夫は定時には仕事を終了する事はほとんどなく、とても長時間働く環境にいました。夫は出来る限りのことをしてくれていたのは十分知っていますし、感謝もしています。
    でも、夫が家庭にいない。そのときの辛さは、私の心に辛く残っています。
    その時、これは夫のせいではない、社会構造の問題だと思ったんです。

政治の世界への第一歩

  • 「3.11」(東日本大震災)のときは下のお子さんは、まだ幼稚園だったそうで?
  • おそらく、きっかけは「3.11」なんだと思います。
    それで、2年後に下の子が小学校に入学したのをキッカケに、昔から心にくすぶっていた「政治」について、一歩を踏み出してみよう!と思ったんです。
  • そこで2013年「日本政策学校」に通い始めたわけですね。
  • はい。その後、山田先生(山田正彦・元農林水産大臣)が講師として在籍していらっしゃったご縁で「山田塾」に入ることになったんです。
  • そこで何を知ったんですか?
  • 山田先生から食についてのお話を聞いて「ここまで日本の食は、そんなにも良くない状態にきているのか!」と、ここで改めて思い知らされた感じです。
  • それで更に「食」への関心が強まったわけですね。

人生って楽しい!そう思える政治を

  • みかこさんのスローガンの「人生って楽しい!そう思える政治を」に込めた想いを教えていただけますか?
  • 安心して暮らせたら人生って楽しいと思いません?
    例えば、スーパーでどれをとっても安全な食材を選べたり、
    高額な学費を払わずとも学びたいことを学べたり、
    自分だけでなくて、みんなが出身地やジェンダーや障害による差別を受けずに、生き生きと暮らせたらどんなに幸せだろうと思って。
    でもここ最近の日本の暮らしは、なにか安心できないような、重たい気がして、楽しくないと思います。
  • でも国政に立候補するのに、かなり勇気が必要だったのではないでしょうか?
  • 実は子どもの頃に観た映画「サウンド・オブ・ミュージック」(原題:The Sound of Music 1965年公開)の中に、「Climb every mountain」という曲があって、ずっと大好きな歌なんですが、それに影響されてるのかも知れません。
  • どんな歌なんですか?
  • 「あなたの持てる愛を、全て注げる夢を、探しなさい」という歌詞が出てくるんです。
    私の全ての愛を注げる「夢」って何だろう?と。
    それは今の私たちもそうですし、これからの未来を生きてゆく、子供たちにとっても、もっと生きやすい世の中に変えてゆくことだと思うんです。それが今の私のビジョンなんです。​
​インタビュー日:2021年5月